6月22日から25日まで、沖縄県伊平屋島へダイビングへ行ってきました。
いつもは一人で出かけることが多いのですが今回はWorldMarineさんのツアーに参加させていただきました。
引率頂いたインストラクターの方2名は旧知の方で、いつも器材のメンテなど儲からん仕事でお世話になっています。
今回もモニターツアーと言うことで、全然儲かってないと思います。
他の参加者の方もダイブマスタートレーニーの方や、100本以上のベテランダイバーの方ばかりでした。また先乗り現地(那覇)集合、居残りの現地(那覇)解散の女性の方が1名居られたのですが、
参加者から畏敬をもっておかんと呼ばれる猛者でした。
当方も年齢的には十二分にベテランダイバーなのですが、歳だけ取った単なるロートルなので皆様のご迷惑にならないよう注意したつもりなのですが、どうだったのでしょうか?
沖縄県の最北端に位置する離島村で、沖縄本島からはフェリーで約1時間のところに位置しています。
伊平屋村のサイトによると、数千年前から人が住み着いており、年台は明記されていませんでしたが支那の柵封体制下に入っていた時期もあったようです。
(前述のサイトに支那の冊封使が伊平屋島を葉壁山と称し金箔の書掛軸を与えられました。との記述があり、そう推測しました)
また、ありがちな話ですが、神武天皇の母である玉依姫の実家?であった海宮(あまみ)[この呼称は初めて見た by ぷうた]は伊平屋島であったとの江戸時代の学者藤井貞幹の言葉も載っていました。
余談であるが、神武天皇の父は皆様良くご存知の山幸彦さんです。はい!
簡単に調べてみたのですが、島津家久が尚寧王を連行したのが1609年、徳川将軍に初めて慶賀使を派遣したのが1634年、
清朝から最後の柵封使が来たのが1866年。などとなっているので、先ほどの学者藤井貞幹の言葉と合わせて考えても、
超弱小島国というか超マイノリティーの哀れを感じてしまいます。
たまたま訪問2日目の23日は太平洋戦争時の沖縄戦の慰霊の日にあたり、各地で戦没者を追悼する行事が行われていたようです。
集合は関空18:00、ANA1737便、大阪19:00−沖縄21:00の予定だったのですが、出発が2:00も遅れてしまい、 お陰で那覇到着後夕食を食べる予定にしていた沖縄そば屋さんの閉店時間に間に合わなくなりましたが、 関空にコンビにが有ったのを知りました。国際線到着ロビーの地下一階にローソンがあります。(写真左) そこらの飲食店へ入るとバカ高いので、貧乏人には大助かりです。
その上、引率のインストラクターが年会費一万円也の何やらカードを所有していたので、ANAのラウンジでビールもご馳走になりました。
この何やらカードですが荷物を預ける時に提示すると、回転テーブル?に出てくる順番もかなり早いです。ちなみに帰りに利用させていただきましたが3番目に出てきました。
那覇到着後はタクシーで国際通りの近所にあるホテルにチェックイン!フォース?の部屋でしたが、寝るだけなのでヨシです。 フロントで教えてもらった24時間営業の食堂で、沖縄そばを食べてこの日は終了。しかし、あくまで沖縄そばに執念を燃やすとは・・・ 食い物とは恐ろしいですなぁ。
二日目はいよいよ那覇から伊平屋までの移動になるのですが、少々ぼやかせていただきます。
基本的には
となるところが、6月10日頃に、就航している二隻のフェリーのうち一隻が急に法規制によるドッグ入りのため、 フェリー運航スケジュールに大幅な変更が発生し、往路、復路とも、伊平屋着発のフェリーは運航されないとの連絡が海運会社から 一方的に通達されたため
ってな具合になりました。参加者全員が心の広い方々だったので大したブーイングも出ず、13:00過ぎ頃に現地入りできたと記憶しています。
しっかし、フェリーの法的定期点検の日程が実際にドック入りする2週間前までワカランとは・・・・私ら下賎の凡人には
全く理解できないことです。まさにお上の為さることですな。
その後、現地で解ったのですが伊是名止まりのフェリーが何故か無人で伊平屋まで回航されており、そいつを無人のまま 伊是名まで回航し、伊是名から乗客を載せるなどというバカげた事の上塗りをしていたようです。目の前のフェリーに乗れずにわざわざ伊是名まで ダイビングボートで移動してからフェリーに乗船する羽目になるとは・・・腹立たしい事、この上無かったです。
到着後、ダイビングサービスで昼食をご馳走になり、民宿で旅装を解き、いきなり一級ポイントであるスーカブヤーに入ることになりました。 ちょうど大潮の時期なのでひょっとしたら大物に出会えるかも知れませんが、いきなり流れのあるポイントに入るのはキツイかも知れません。
今回お世話になったサービスは海ほたるさんです。 ぷうた君と同い歳のオーナー仁ちゃんと愛知県出身のさおりん(おかん命名)で運営されています。 ポイントなどの詳細についてはそちらをご覧下さい。
で、いきなりギンガメさんが登場してくださいました。こっちにすれば納得の量なのですが、全然少ないらしいです。 ただ、水深がやや深い(ログを見ると最大33.6mでした)のと、流れてるので体力的にはキツ目ですが、潜水時間的にはグッドな一本目でした。
一本目はギンガメのほかにカスミアジ、ウシバナトビエイ(の影)、イソマグロ(ギンガメに混じって登場)などなどでした。
帰り道、船上からサメの背びれが見え隠れしたのですが、仁ちゃんによるとハンマーとのことでした。
スーカブヤー手強し。
2本目はオランダグチと言う港から5分程度のニシキテグリ観察ポイントに入りました。
ちょうど夕方(エントリーが17:16)だったので、ぼちぼちテグリちゃんが出てくるころです。
最初のうちはなかなか見つけられませんでしたが、目が慣れてくるとあちこちに結構な数のテグリちゃんが居てました。
残念ながら、当方は15mmワイドなのでカメラは持って入りませんでしたが、10年ほど前に奄美の倉崎海岸でみたものより
かなり大きく感じました。
伊平屋でのお宿は内間荘さんです。離島なのでゴージャスなホテルと言うわけには行きませんが、 物干しスペースや洗い場も十分にあったし、部屋も使いやすく出来ていました。
ただ、ダイバーは我々8人だけだったので、物干しや洗い場などは貸切状態であったことだけを付け加えておきます。
ハイシーズンになってお客さんがドバーッと来たら、少々しんどいかも知れません。
食事に関しても質、量ともに申し分ないです。(離島の民宿としてはですよ)大将も女将さんも人の良さそうな方なのですが、
全体的にのんびりムードなのがちょっと気になる点でした。
お客がのんびりするのは当然として、店側がのんびりしてどないするねん!と思う事がありました。
特に朝食なんですが、時間通りに始まらず、後のスケジュールを考えると・・・でした。
まだまだ、穴場的なところなので、長い目で見てあげる必要もあると思いますが、さおりんの話によると
とんでもないところもあるそうです。
んな、ところで食事を済ませ、適当にアルコールも摂取したところでこの日はお休みとなりましたとさ。
4が三日目か・・・ブラウザで見ると特に何も感じないが、テキストエディターで見ると なんとなく違和感が有りまくりである。ってな余計な事は置いといて、この日は、夕食が海ほたるさんでバーベキューをすることが 決定していたので、個人的にはダイビングもさることながら、朝からそっちのほうが気になっておりました。
ダイビングは個々の一本においても、また一日においても最初が深く、そこから徐々に浅くと習ったのですが ダイブコンピューターが登場してから全てが変わってしまったような気がします。もう10年以上も前になりますがダイコンが出始めて しばらくした頃(その頃は高価で手も足も出なかった)、ダイコンによる assisted diving はエエけどcontroled diving は アカンでと言われた記憶があるのですが、今となっては all controled に成り果てています。
確かにダイコンのお陰で、以前(米海軍空気減圧表 = ダイブテーブルを使って潜っていたころ)、では潜れなかったパターンでも 潜れるようになったり、潜水時間が長く取れるようになったりして、水中世界をより楽しむことが出来るようになりましたが その分減圧症のリスクは高くなっているはずだと思うのですが、如何でしょうか。
厳密?にはダイコンのお陰ではなく、新しい減圧モデルのお陰なのでしょうが、多くのレジャーダイバーが ボランティアで減圧モデルの再構築に協力したのでしょうか?業界の方おせーて下さい。
と御託(ごたく)を並べたのは、この日は潮?の関係で一本目がミニアーチ、二本目がスーカブヤーと 浅い→深いと言うダイビングパターンになったからです。でももはや、こんなんって問題視されませんよね。 ただし、流行の自己責任 ってヤツでしょうか。
写真は左から3枚が午前中に潜ったミニアーチというポイント、右端が午後から潜ったスーカブヤーでエントリー直後、
隠れ根の方に見えたロウニンアジっぽい影を目で追っている時に出てきたマルコバンです。
この日のスーカブヤーはハズレでした。
この後はツムブリが出た程度で終わってしまいました。
むしろ、一本目のミニアーチの方が白い砂地に根が点在するパターンで結構楽しかったです。 左から2枚目はエントリー直後のトンネルに付近に群れているスカシテンジクの群れ、季節によってスカシテンジクと 入れ替わるらしいです。一番左はトンネルを抜けた先の根に付いているヨスジフエダイ。その次は 点在する根の間の砂地で休んでいたモヨウフグですが、結構デカイ個体でした。
今回のツアーを通して言えることですが、天気が良ければミニアーチなど浅めで砂地が広がったポイントなどは もっとキレイだったと思います。
ダイビング終了後、予定とおり、海ほたるさんで宴会が催されました。まだエビが解禁になっていないので
出ませんでしたが、ハージン(スジアラ)に始まり島タコ(手長ダコ?)、ヤコウガイ、イシガキダイの汁と盛りだくさんで大満足でした。
その上、途中から宴会に参加した内間の大将が明日はヤギ汁をご馳走すると宣言してくださいました。ああっ・・・やぎさんの命がひとつ天に召されます。
豪華な料理を紹介したかったのですが、食べるほうに必死で撮影するのを忘れておりました。
とうとう伊平屋での最終日がやって参りました。この日は一本目がスーカブヤー。二本目が学校下と言う浅目のポイントでした。
毎度の事と言うかなんと言うか、昨日のダイビング終了後、ストロボの電源が入りっぱなしだったようで、一本目エントリー後に測光して撮影スタンバイしようとしたところ
バッテリーチャージ不可となっておりました。相変わらずトホホの連続ですわ。
こんなときに限ってガンガン出るんちゃうん!?と思ってましたが、そないに大物は出ませんでした。もちろんギンガメは出たし、 遠めではあったがサメも出たし、ヤイトハタのでっかいのも出ましたが・・・人間って贅沢ですな。
2本目の学校したは最大水深10.0m。のんびりと潜らせて頂きました。カクレクマノミとか
イザリウオとかガーデンイールとか小物がたくさん居り、デジカメが欲しいなぁ・・・と思いました。
そらNikonosでもOKなんですが
この手の被写体にはデジカメが一番のような気がします。
この日は早めにダイビングが終わったので、レンタカーを借りて島内観光することにした。ちっこい島のくせに いくらかは観光スポットがありそうである。で、その中から、念頭平松とクマヤ洞窟を紹介しておきます。
念頭平松は案内板によると県指定の天然記念物で高さ7.8m、枝張り約14.5m、胸高直径(意味不明)約1.2mの大きさがあり、
リュウキュウマツの代表的な形態をしめしているらしいです。
久米島で同様の松を見学したアバスに恨みを持つ?某インストラクターは久米島のものより格段に立派であると申しておりました。
伝説によると兄念頭松と言う美しい松を盗伐した人物がその祟りで死んだため、弟たちが兄の霊を供養するためにこの松を植えたらしいです。
クマヤ洞窟はチャート(堆積岩の一種で海水中の珪酸が粘り気を帯びたものにホウサン虫、ケイソウなどの遺体が加わり海底に堆積したものらしい)層の褶曲部が侵食されてできた洞くつらしいです。
伊平屋村のサイトによると、島の反対側に通じているようで、そちら側は西クマヤ穴と呼ばれているそうです。
詳しいことは少々重いですがてるしのNETをご覧下さい。トップから辿ればいろいろと情報がありそうです。
ヤギ汁なんて、10年以上前に奄美でご馳走になって以来です。伊平屋での最後の晩餐を飾るにぴったりですがな。
正直なところそんなにたくさん食べれる物でもないし、万人の口に合うとも言いがたい味ですが、客人をもてなす最高のご馳走とのことでした。
最終日の夕食はお世話になった海ほたるの仁ちゃんとさおりんと内間の大将も一緒に喰って、飲んで、騒いで、 蚊に噛まれるわ、アリんこ出てくるわで大盛り上がりでした。みなさまありがとうございましたです。
写真は左から、潰したヤギさんの中身、続いて汁に変身した中身 さらにその隣はヤギ刺し、と海ほたるさん差し入れのイシガキダイの刺身。ヤギ刺しはショウガポン酢で頂きました。一番左は昨晩、海ほたるさんの宴会に出た ハージンと島タコの刺身とハージンの皮の湯引きです。
う〜ん、思い出すだけで・・・
いつもの事ですが、最終日はあっと言う間にやってきます。朝食後、迎えの車を待っていると伊是名へ無人回航されるフェリーの汽笛が聞こえました。
嗚呼、なんというムダなことを・・・
往路と全く反対のルートで伊是名まで海ほたるさんのダイビングボートで送り届けてもらい、レンタカーでフェリー発着場へ移動、無事伊是名9:00発のフェリーに乗船することが出来ました。
那覇に戻って昼食にソーメンチャンプルを食し、国際通りを案内してもらい、適当にお土産も買ってから16:25発ANA108便で伊丹へ帰りましたとさ。
国際通りで写真を撮ろうかなぁ・・・と思いましたが、道頓堀のグリコやカニ道楽や食い倒れの前で写真を撮っている風景を思い出すと、その気が萎えました。
忘れ物はやっぱり何回かありました。他人様にご迷惑を掛けること(東海地方からお見えの?さんが、かなり怒っていたらしい・・・おかん談)になりましたが、まぁOKとしときましょう。
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